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こんにちは。
13才差の夫、息子(12才)と
生活する49才さちです。

プロフィールを見ていただき、
ありがとうございます。

恥ずかしながら、この年まで、
自分のための貯金習慣が全くなく
老後資金がゼロなのに能天気に
49才まで過ごしてきたパート主婦です。

このプロフィールでは

49才パート主婦が、

webの在宅ワーク副業を始めて
たった4ヵ月で初収入を得ることができた理由

とか

お金や老後や働き方について、
老後2000万円必要とか言うけど、
「まじめに」「コツコツ」働いてたら何とかなるんじゃない。

SNSで稼ぐとかってめっちゃ怪しいんじゃない…。

パート、子育、介護で時間がない!私しかやる人いないし、副業なんてムリ!

新しい挑戦に失敗して家族にかっこ悪い姿見せたくないしなあ…。

本当はいろいろお金使いことはあるけど、本音はそりゃ我慢してる。

子どもが中学、高校、大学と成長したらお金がいるからしょうがない。

こんな風に思って生きていた私が、

どれだけもったいないことをしていたか

などを含めて、私自身の自己紹介を書いています。

よかったら、ぜひ最後まで読んでみてください。

家族そろって出かけることができなかった幼少期

私の父と母は30代に入ってすぐに
祖父母の介護を背負うことになり
父は仕事、母は介護で忙しく
家族で出かけたことがありませんでした。

私の幼少期は1980年代でバブル全盛期。

どのご家庭も比較的裕福で、
週明けに学校に行けば、

家族旅行で温泉に行った!

とか

遊園地に行った!

とか

あちこちから聞こえてくる時代でした。

そんな中で、うちはかなり貧乏な方だったと思います。

父は小さな山村集落出身。男ばかりの4人兄弟。

昔ながらの小さな古民家で
家は狭く、家計が苦しかったのもあり
父は1中学を出てすぐに働きました。

そんな父を雇ってくれたのは
地元の家族経営の零細企業。

私が幼いころの父は、
朝6時から働いて24時に帰れれるかどうかの
今でいう社畜生活でした。

それでいて手取りは25万程度。
年収は350万くらいだったらしいです。

それでも
25才で母と結婚し、
26才で私が生まれ、
35年ローンでマイホームを購入し
28才で妹が生まれて。

バブル経済で裕福な時代に、
裕福ではなかったものの、
幸せな家庭だったと思います。

ですが、父が30歳の時
父実家の大黒柱だった祖父が要介護状態に。

父が跡取りでしたから
家族4人の暮らしだけでなく
曾祖母や祖父母の生活が父の肩にかかりました。

ファミコンが出てきたばかりのころで
バブル時代だったこともあったのか
どこのお家に行ってもファミコンがありましたが
うちだけはなかったんですよね。

私も妹もゲームに興味がなかったから
そんなに気にしていなかったけど。

女の子のうちに遊びに行くと
シルバニアファミリーっていう小さな動物の
お人形ごっこが流行っていて
それもどのおうちにも合った記憶があります。

妹はシルバニアファミリーが大好きで
遊ばせてくれる友達の家にいつも入り浸っていましたね。

私はと言うと

5才から祖父が要介護状態。
父は働き詰め。
母は祖父の付き添いで病院に泊まり込み。

私たちは、母方祖父母や親せき、
近所の家に順番に預かってもらってました。

どこに行っても
「お姉ちゃんやから妹の面倒を見てあげて」と言われて
私は、めちゃくちゃ真面目に妹に付き添ってました。

今思えば、自分だってまだ子どもなのに…。

周りの大人から
「さっちゃんはしっかりしているから安心だね」
と言われてました。

たまに母と過ごす時間があっても
母の膝の上にいるのはいつも妹。

結果、私はいつも、
妹を優先、大変な母を優先で
自然に「私のことはまあいいや」
って思ってました。

私と妹って誕生日が1日違いなんですが、
たいてい、二人まとめてでいい?ってなってました。

となると、妹がすねるので
いつも妹の誕生日がお祝いする日でした。

そのせいか、今でも、自分の誕生日に
期待ができないというか、
祝ってもらうと気が引けてしまいます。

自分の誕生日を祝ってくれなくていいという私に、
夫は毎年、私の好物の唐揚げを作ってくれるんですが
私だけのために作ってもらえるだけで
実はめちゃくちゃ嬉しかったりします。

中学生で、初めてお小遣いを稼ぐ!

私が一番最初に働いて自分でお金を稼いだのが
中学2年生の時でした。

小学生の時に祖父と曾祖母が他界しましたが、
すぐに祖母に見守りが必要になり
私が中学の時は祖母と同居がスタート。

家族4人で子ども部屋が取れない小さな家だったので、
祖母と暮らすために増築するしかありませんでした。

教育費が必要になる子どもを二人育てながら
親の介護のために家を増築。

父の給料が急によくなることもなく
母は、朝10時~20時にパートをして
夜は21時~24時までバイトに出るようになりました。

それでも、中学生になった私に
母はお小遣いをくれていました。

月1000円なんですが。

朝と夜しか会えないくらい
頑張って働いてくれている母から
お金をもらうのが、すごく嫌で。

そんな時に、母が新聞の集金のバイトを頼まれて
それも掛け持っていたのですが、
「代わりに行ってきてくれない?」と
頼まれることがありました。

何回か手伝ううちに
「やってみる?」って勧められて。

夕方、近所のお家をピンポンして集金するのは
とても勇気が必要でしたし、
何もなければ絶対やらないけど。

月3000円のバイトだったので
それがあればお小遣いを
母からもらわずにすむって思いでした。

実は、中学で出会った友人の影響で
バンドにハマっていた私は、
カセットウォークマンが欲しくて。

約1年働いて、
念願のウォークマンを手にしたときは
本当にうれしかった!

当時は乾電池式だったから
初日は、一晩中聞いて
あっという間に電池がなくなりました。

妹のために、母のために、
甘えることも頼ることも
我慢していた長女気質の私にとって

稼いで好きなものが買えた!

この解放感というか、
自由でのびのびした感覚は強烈で。

私の、「能天気な金銭感覚の土台」って
ここにあるんじゃないかなって思います。

そして、私は

学費が最小限になる進路
将来、女性でもでしっかり稼げそうな仕事
家族に介護が必要になったときに役立ちたい

という理由で、
中学を卒業することには
看護師になることを決めていました。

バイト三昧の学生時代

中学生で働いて稼ぐ喜びを知った私は、
高校、大学と進学しても、
ずっとバイトを続けました。

私が高校生になっても、
母は、変わらず私と妹の教育費のために、
以前と同じく朝から夜まで働く生活。

私は大学に進学した時
無利子の奨学金を得るために、
学力的に少し無理をして公立の進学校に行ったものの

母からお金をもらいたくない私は、
長期休みになるとアルバイトを頑張りました。

小学生、中学生の時は妹や母を優先して
いつも我慢していた私ですが、

高校では、幸いなことに
ガマンをせず言いたいことが言いあえて、
楽しいことを共有できる友人と
出会うことができました。

放課後は、部活はせず
友達と遊び歩いて、
楽しい時間満喫してました。

みんなカラオケとおしゃれが好きで、
私もみんなと同じようにしたくて、
バイト代を全部使っていましたね。

個性的なアパレルショップの店員さんと、
すごく仲良くなって、
1万円台の個性的な服もよく買っていました。

今思えば、そんなお金の使い方
よくしてたな~と冷や汗が出ます。

看護学生になってからは、
もっと自由にバイトができるようになったので、
朝5時~8時、18時~20時、21時~24時 と
多いときで1日8時間アルバイトをしていました。

看護学生だったので、
勉強する量もかなりありましたが、
成績のいい友達に助けてもらって
なんとか試験はクリア。

ひたすらバイトしていました。

今思えばそんなに働かなくても
よかったんだろうと思いますが
当時は、合コンが全盛期。

もとは人のいる場所が苦手で
できれば静かに過ごしていたいタイプなんですが、

誰かと一緒に遊んで楽しい時間を過ごせのが、
うれしいだけじゃなくて、甘えられて
依存していたんだろうなって思います。

当時、しっかり者の友達は、
貯金もしていたかもしれないですが、
私は、将来のお金のことなんてまるっきり考えてなくて。

「あるだけ使う」が
私の中ですっかり当たり前になってました。

看護師になったけどお金はたまらなかった…

看護師になって、働く女性の中では
お給料がよかったのだと思いますが、

2つの奨学金を返しながら、
一人暮らしを始めたことや、

看護師として学びたいことが
どんどん出てきてしまって
学生でバイトをしていた時より
お金がなかったです。

看護師の初任給って
1か月に手取りで25~27万円くらい
あったと思います。

ですが、学生時代の私は、
8時間バイトをして、
15万円稼ぐのが精いっぱいだったので、
そんなにもらえるって、
めちゃくちゃ嬉しかったです。

ですが、病院の寮で一人暮らしを始めたので、
住居代、光熱費、車の維持費など、
生活費を自分でまかなったら、手元に残るのは数万円。

実家や祖父母の家で暮らしていた時は
生活費でこんなにお金がかかるなんて知らなくて。

学生の時の方が、使えるお金、多かったな、って
初任給で実はがっかりしてました。

生活費をまかなって、奨学金を返すと、
残るお金は少ないし、

新人の看護師なんて、
できないことばかりな上に
慣れない勤務だし、
疲れ切って、部屋ではひたすら寝てました。

お金を使う機会がなかったし、
貯金も必要かなあ、と思ってたので、
なんとなく、貯金ができた時期でした。

それが、

子育て中の女性のがん患者さんの力になれず無力だと感じたこと
ハードワークでも、仕事に悩んでも、どうしても人に頼ったり
甘えられず、一人で抱え込んでしまって「うつ」になりかけて。

メンタルサポートってめちゃ大事!

と思いました。

ただ、全く未知の分野だったので、

それまで少しずつできていた貯金を
全部使って勉強しに行ってました。

関西から関東の研修合宿に参加するとか。

すごい金額を使ってましたね…。

心から安心できる家族をもちたい。

家族とのよい思い出があまりなかったので、
結婚願望がない私でしたが、
結婚を意識できる男性と出会い、

家庭を持つんだったら
子どもが心から安心して過ごせる家庭にしたい

と思うようになりました。

夫は、13才年上でしたが、
男性なのに学生時代の友人のように
気兼ねなく話すことができて、
頼ることもできる人でした。

なんとなく自然に結婚するに至りました。

でも、すぐには子どもが欲しい!という気持ちにはならず。

というのも、30年前と違って、
がん患者さんが告知を受けるになってきて。

患者さんが事実を受け止めながら
闘病する時代になりました。

過去に、力になれなかった患者さんのことが
ずっと心に残っていたのと、

がん患者さんの相談員の需要が高まり、
がん患者さんの相談員に転職。

患者さんに役に立つために
さらに学びたいことがあって
結婚して5年は、仕事と学びに没頭してました。

そんな状況だったので、
全く貯金ができてませんでしたが

35才になって、
子どもを育てたい気持ちになり
36才で出産。

子育てをする十分な貯金がないにもかかわらず、
子どもには、自分と同じような思いはさせたくなくて
迷わずフルタイムからパートタイム勤務を選びました。

子どもとのかかわり方がわからない!

ただ、親との関わりが少なかった私は、
子どもとどんなふうに接したらいいのかわからなくて困りました。

出産までは、図書館で育児書を読み漁っていましたね。

看護師の経験から、子育ても、何となくの感覚でやってしまうと
迷ったり、いい加減になる場合もあると思いました。

それから、大人が意識して言葉やふるまい気を付けないと
案外、子どもって言わないけど傷ついているんですよね。

私は、小さいころ、いろんな大人に育ててもらったから
それぞれの場所で大人からいろんな言葉を受けていて、
さみしい思いや、悲しい思いも
けっこうありました。

どの大人も、私によかれって思って
言ってくれてるのは分かっていたけど。

人は、気が付かないうちに、
心無い言葉を行ってしまうこともあると思ってました。

だから、自分はそうならないようにしたかったんです。

子どもが3歳の時には、ママ友の誘いで
子どものやる気を引き出すトレーニングも受けました。

おかげで、のびのびした子どもの気持ちとその時の行動
反対に、心がくじけたときの感情や行動を知ることができました。

そして、大人がどんなふうにかかわったら、
子どもが安心して自信をもって
成長できるのかが分かるようにもなりました。

息子は少し特徴のある子どもなので、
私が学んだことを、小学校の先生にお伝えして
たくさん協力もしていただけたおかげで
息子は、明るく元気で優しく育ってくれています。

パートに切り替えたことで、
かなり収入は減り、
自分のための老後準備なんて
全くできませんでしたが、

子どもと関わる時間をたくさんもち、
寂しい思いをさせない子育てができていることは
とても満足をしています。

父母の介護をあきらめたくない!

しかし子どもが中学生になり
少し手が離れるタイミングで、
今度は父母の見守りが必要になってしまいました。

50代を目前にして
私もさすがに、老後の準備ゼロ、
っていうのは良くないとは思っています。

なので、息子が中学になるタイミングで、
フルタイム勤務に戻ろうと思っていました。

ですが、この数年で父が大腸がんを患って2回の手術。
今年の夏には、母が大けがと手術。
母は足が不自由になりました。

母には、まだ健在の一人暮らしの祖母がいます。

母も私と同じ二人姉妹の長女。

そのため、母がずっと祖母の様子を見てくれていました。

ですが、足が悪くなったことで車に乗れなくなり、
祖母の見守りも難しくなってしまいました。

そのため、今は、祖母と父母を見守る立場になりました。

フルタイムで勤務しながら
ヘルパーさんたちに協力してもらい
介護をすることも可能な時代です。

そのようにしてもいいのですが、
今度は私が、父母のために役に立ちたい気持ちがあり
フルタイムに踏み切れずにいました。

教育費も老後準備も必要なのに
親のためにフルタイムに戻りたくない。

自分でも、働けよって思います。

でも、寂しい思いはしたものの、
30代から今まで介護も子育ても頑張ってくれた
父と母の介護をあきらめたくなくて。

それで、ネットで稼げる!みたいな
怪しい情報もたくさん見まくりました。

老後、本当に欲しいのはお金?

一気に稼げる!みたいな広告もたくさんあって、
そうできるなら、すごくいいなって思います。

でも、私に必要なのは、
老後も安心して暮らすこと。

一攫千金じゃない。

私にはちょっとした夢があります。

テレビで見た90代の看護師さんみたいになりたいなって。

その女性はご主人を見送った後、
住んでいた一軒家を引き払い
ちょうどよいサイズのアパートに引っ越し
そこから、老人施設に勤めておられました。

自分より年下の寝たきりのお年寄りの食事介助をしたり。
忙しく働く若い看護師さんのために、
薬を入れるちょっとした袋を準備してあげたり。

90才を超えても
その時にできることで働かれている姿が
すごく素敵だなって思って。

そういう未来につながっていくには、
私の場合は、一攫千金、じゃないな、って思いました。

もっと介護が必要になっても、
家族ために時間が確保できて
コツコツが強みになる仕事。

欲を言えば、年齢関係なくできる仕事。

そう考えていってたどり着いたのが、

webライティング
webデザイン
webマーケティング

での在宅ワーク副業でした。

息子に夢を見せれるようになりたい!

webでの在宅ワークを始めてみて思ったのは
こういう働き方を息子にも
選択肢のひとつとして知ってほしいなということです。

webで仕事をしてみてわかったのは

web上でなにかを発信して、
人のお困りを解決したり、
人を喜ばせたりすることができる!

ということです。

息子が大人になる10年後には、
webでの発信が、もっといろんな形で
人の役に立つ世界になっていると思います。

息子は、私が毎日パソコンに向かっている様子をみて
「今日も仕事?頑張って。」と声をかけてくれます。

クライアントとミーティングをしたり、
黙々とクライアントの依頼に取り参加したり
さらなるスキルアップのためにzoomで勉強に参加したり。

webを使っての在宅ワークのいいところって

世界中どこにいても仕事ができる!
好きな場所で好きな時間に働ける!

ももちろんですが、

子どもに働く姿を見せれる!

もいいところなんじゃないかなって思っています。

いずれ、webでの在宅ワークが
これくらいの収入になっているんだよって
夢を見せれるようになりたいです。

webの在宅ワーク副業。4ヵ月で初収入!

今、私は、SNS運用代行で
安定して月30万円の収入を得ている女性が
何人も所属するweb在宅ワークが学べるスクールで
切磋琢磨しています。

そして、私も、少額ながら4か月で
初収入を得ることができました!

さらに今のクライアントから
いただいたお仕事をさらに増やしていただけたり、

新たな案件も2つ決まりました。
さらに別の案件も1つ進行中です。

6か月目には、初収入の3倍の収入になる予定です。

初収入まで4ヵ月。
初収入が3倍になるのに2ヶ月。

すごくないですか…。

雇われて働いていると
考えられないことです。

私の目標は、まずは、月30万円。

会社員の1ヶ月分のお給料と
同じくらいの金額を稼ぐのが目標です。

若ければフリーランスを目指すのもアリかもしれません。

ただ、パートで週20時間以上働き、
社会保障が得られるのはすごく魅力です。

だから、今しばらくは、在宅ワークで副業で頑張ります。

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